最初は反対もあった私たちの結婚ですが、5年目となりました。
時間が過ぎるのは早いものです。
今回は私の個人的な国際結婚5周年過去を振り返りつつ、個人的な感想を書いていきたいと思います。m(_ _)m
目次
日本へ来るまで~ロシア人夫の正夢~
結婚してから、しばらくロシアで暮らす予定でしたが・・・
夢もあまり見ない(見てもすぐ忘れてる)&あまり深く考えない&勘がよくない(失礼w)な夫がある日
と言いました。
そういうことを言いそうにない人がそういうことを言うって妙な怖さがあるもので( ゚Д゚;)
私は「あー、もしかして正夢になるのかな」と ふと思いました。
そして実際に正夢になりました。
私たちは日本で暮らすことになりました。
夫はルンルンしていましたが、私は日本で生活することへの安堵を感じつつ矛盾したストレスのような感情もありました。
なぜかというと、家族を頼れないという思いがあったからです。
最初、私は家族から夫との結婚を反対されていました。
私の親は「ロシア人との結婚なんて反対!」
祖母に至っては「外国の血を入れたらいけない!」
今は夫の人柄もあって仲良く出来ています。
それでも、最初反対されていた結婚をしたので、私は
何かあったら親を頼るなんてカッコ悪い!! 😡
絶対二人でなんとかやっていこう!
そう決めていました。
日本での生活の準備
親に頼らないと決めたからには
日本で私の両親の家に一緒に住むことは考えられなかったので、
(私の両親はいいよ、と言ってくれましたが)
一歩先に私が日本へ帰国し、夫のビザを申請し、物件を探しました。
物件を決めたら、就活を開始。
私が就活中に夫が日本入りしました。
日本は母国。夫には異国。
私が家族を支えなければならない存在になってしまったことが
プレッシャーとなって、不眠や自律神経の不調といった症状が出て当時は辛かったです。
私の仕事は決まったものの、勤務開始日まで時間がありました。
日に日にお金は無くなっていくのが、凄くストレスでした。
また、最初は夫の病院での付き添い、バイトの面接の準備、色々と手伝いました。
もともと私は容量が小さい人間なので、仕事も始めたばっかりの私は色々とキャパオーバーになって
突然泣いたりの情緒不安定発生させたりで、色々と混沌として、夫にもストレスをかけたと思います。(反省)
専業主婦から大黒柱へ
夫と結婚した後、しばらく専業主婦でした。
ロシアの一時居住許可が下りたら、週に数回働こうかな (^^♪) くらいに思っていました。
男女差別とか男尊女卑とか本当に嫌だ!男女平等であるべき!と思いつつも
やっぱり男が稼いで女が家庭を守るという文化が染みついていて
自分はそれに甘えている節が実はあったと思います。
そんな私が日本で大黒柱となって家庭を支えるべき人になってしまったのです。
それから、何かあるたびに「なんでこんな目に」という被害妄想に陥ったり
ネガティブだったり、言い訳がましかったり、卑屈になったり。
自分の人生に対して自信が持てないような、今思えばそんな私でした。
夫に対しても失礼ですよね。
夫が無職になった時
夫はバイト先の労働災害でケガをしましたが、労災として掛け合ったものの取り合ってくれず、退職となりました。
それで一時働けず。夫、一時無職に。
おまけに夫は別の病気も発症してしまって、夫の体調は最悪でした。
私のストレスもピークで毎日泣いていた気がします。
もう、性格の悪さ炸裂で愚痴も言っていた気がします・・・( ゚Д゚)呆
夫の症状がよくなるまで待って、そこからまた夫の仕事探しをしました。
夫と副業を開始する
再び夫の仕事が決まってからも発症した夫の持病が悪化する可能性があったので、
「これはどうにかして副業をしないと」
そう思いました。
そこから、夫が得意としていることの副業を始めました。
最初は全然でしたが、それなりにお金が確保できるようになってからは独立することに決めました。
そこから2年経ちましたが、夫は自分に自信を取り戻したようでした。
仕事というものが人にとっていかに大切なものか、夫を見てより学んだ気がします。
バイトしていた日々のことを思い出すと、
ブラックでしたから。。
辛いブラックバイトでも家庭のために体を壊すまで働いてくれたので
あの時のことを思い出すと、感謝しかありません。
子どもを持つことは夢のまた夢?周りの圧力に苦しむ
当初は経済的に子どもを持つことは夢のような感じでした。
日本での生活で私が仕事を始める前の二人とも無職だった時にお金は飛ぶように無くなりましたから。(当然だけど。。)
年齢的にもアラサーだったので焦りはあったのですが、
とも考えるようにしていました。
ただ、親からは「子どもは?」と言われるし、夫の友人からも「○○(私)は子ども欲しくないの?」など聞かれる。
(夫は私より1歳年上ですが、ロシア人は割と結婚が早いので夫の友人は子どもがいる人が多いです。)
周りからの圧力が辛かったです。
人それぞれなんだし、こういう 子ども持つことが当たり前 みたいな世の中に生きづらさもやや感じました。
少子化はもちろん問題なんだけど、子どもがいない夫婦にももっと市民権あっていいと思います。
「ハーフだから可愛いだろーし」と言ってくれる人もいましたが、でもハーフを生むために結婚したわけじゃないしね..('_';)
子どもを育てる選択肢と出産
私が仕事を変えたり、夫のビジネスが軌道に乗ってきたのもあって、「子どもを育てる」という選択肢も私たちに出てきました。
こう書くと子どもはそんなに欲しくなかったのか?と思われるかもしれませんが、欲しかったです。
友人の出産祝いを百貨店で買いに行くたびに、
「可愛いなぁ。いつか自分の子どものために選びたいなぁ。」と思っていました。
去年、息子を出産しました。
私は日本で出産したのですが、国籍のためにロシアで出産したかったなぁと思いつつ(記事にもしてますが)
でもやっぱり日本で出産して本当に良かったと思いました。
海外で出産される人は大変だと思いますが、頑張ってください。
子どもに対しての責任
子どもを出産してから、眠れない日々からいつ開放されるのかと思いつつも
動かないうちはまだ少し目を離していても大丈夫でした。
しかし、今はハイパー元気!
私が動き回ると追いかけてくるのが楽しいのか、わざと遠くへ行って
私が追いかけてくると爆笑して待っている・・・"(-""-)"こ、小僧~!w
とりあえず、毎日お出かけしないとストレスがたまるようなので
色々な場所へ遊びに行き、疲れさせる・・・
と、私もヘトヘトになっている(ヽ''ω`)ゲッソリw
子ども3人育てた母がめちゃくちゃ偉大に思える。。
息子を見ながら、たまに
「あー自分は大変なことをしてしまった。この子の人生に対して責任を全う出来るのか。」
なんて不安が襲いかかってきます。
頑張るしかないですね。
いつかは分かりませんが、ロシアへも数年住む計画を立てています。
2つの文化を持つ子どもとして、ロシアでも生活できたらいいなと考えています。
国際結婚5年目で感じたこと
結婚5年目でママも1年生の私個人の国際結婚は・・・
・慣れてしまえば、普通の結婚と同じですよね。当たり前のことと言えば当たり前なんですが。
夫が外国人であることを忘れてしまいます。
・家族が遠くにいるという寂しさはいつもある。
国際結婚で一番つらいのはどちらかの実家が遠くなる可能性が高く、距離が精神的にも影響してしまうこと。
・2つの文化を楽しめるが、相手の文化の押しつけはイライラする
子育てで特に。ロシア祖母は息子は「別のベッドで寝かせないといけない」等が面倒だし、夫もロシアママの言うことを守ろうとする。(-_-;)私がこの子の母親なんだけど
・日本人でも色んな人がいるようにロシア人も色んな人がいるので決めつけNG
もちろん、日本人やロシア人というアイデンティティは根本にはあるけれど、人は人。
・子どもを産むと旦那が鬱陶しくなるのは外国人夫に対しても同じである(笑)
人によるかもしれませんが、外国人夫は日本人よりも子育てに積極的でどーのこーの(略)で少しだけ期待していましたけど、頼りないし、ガルガル期は普通にイライラする。(もちろん常に鬱陶しいと思っているわけではありません。)
・たまにロシア人夫が日本に染まりすぎて日本人以上に日本人だったりする
あくまでも私の個人的な意見ですので、悪しからず。。
なんだかテキトーな箇条書きになってしまいました。
後日、訂正入れるかもしれません。w
この5年で私は色々と考えさせられたし、自分自身に対して幻滅することも多かったです。
まだまだ幼稚なところがある私ですが、私とブログも共に成長できたらいいなぁと思っています。m(_ _)m
こんな私に文句は少し言いつつもwずっと一緒に居てくれている夫には感謝。
二人とも頑固なところがあって、喧嘩もよくしてますが、これからも頑張っていきたいと思います。
まだまだ先は長いですね。
国際結婚をして海外で頑張っている日本人妻たちの姿にも勇気づけられます。
私も頑張ろうと思います。