私も夫もまだ生まれる前の事「ベレンコ中尉亡命事件」について書いてみたいと思います。
引用:http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170628011680001.html
ヴィクトール・ベレンコはソ連軍のパイロットで、 当時、世界最速(この時代は速さを競っていたらしい)を誇った戦闘機ミグ25で 日本経由でアメリカに亡命した。
亡命した時29歳とか。今の私とあまり変わらない時(サバ読みw)にすごいことしてたんだなぁ。。
ベレンコ氏↓
引用:Москва 24 https://tv.m24.ru/
日本を経由した理由は、チュグエフカからロスまで約8000キロ以上あり、燃料は最大で2000キロ程度であるので
直接アメリカに亡命するのは不可だし、気が付いたソ連軍に後を追われて撃ち落される可能性もあるからだ。
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それでも、なんで祖国を捨てて敵国に行こうとしたんだろう(´ー`)。。
私は共産主義者でもないけれど、民主主義も共産主義も進んでいくと権力者が結局良いようにして
独裁政治みたいになるよな、とは思います。
最初は人々の平等と幸福を考えた理想的な体制も、だんだんと腐敗していったみたいですね。
トルコに亡命を企てたパイロットが部隊に撃ち落されたというニュースを聞いて、
初めて亡命を意識したとか。
そこから、彼は亡命を成功させるべく、綿密に計画を立てた。
正義感の強かったらしいベレンコは、軍の腐敗が許せなかったらしい。
国民のアルコールは制限されるなかで、軍人は軍の航空用の純度の高いアルコールを浴びるように飲んでいたという。酒が飲みたくてメタノール飲んで失明した国民もいるっていうのに。。
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引用:http://www.spionkopfuel.com/
同僚や部下、そしてそれらの腐敗も問題としない体制。
上司に不正を上に報告すると言った時には、反逆罪として刑務所に入れらてしまいます。。( ゚Д゚)!
Боже мой!
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引用:http://www.slate.com/articles/health_and_science/medical_examiner/2016/09/how_i_got_two_mentally_ill_patients_out_of_jail.html
軍医が味方をしてくれ、上司に口利きしてくれたおかげで
希望するミグ25の部隊に入れることになったというベレンコ氏。
そこで、チュグエフカへ行くことになりました。
彼の亡命を決意させたのは・・・
・軍の腐敗
・妻との離婚
主にこの2点と言われています。ソ連にいても自分の居場所は無いと感じ、悪の存在と教えられてきたアメリカがどんな国か確かめようと思ったそうです。
1976年9月6日、訓練飛行で機体番号31のMiG-25Pを操縦することになったベレンコは、計画どおり飛行中に墜落を装って編隊を離脱、そのままソ連のレーダー網を低空飛行でかいくぐって日本海を一直線に横切り千歳基地(千歳空港)を目指した。
しかし、厚い雲に阻まれたため進路を南に変え、函館空港に強行着陸した。
身柄を拘束された後にアメリカへの亡命を表明した。いち早くアメリカ亡命が認められたベレンコは、4日後東京羽田空港からノースウエスト機でアメリカに渡った。
引用:Wikipedia
墜落を装って、機体を急降下させるところからの超低空飛行。目がグルグルしそうですね。。
レーダー網をかいくぐる為の超低空飛行は海スレスレで、船ともぶつかりそうになりながら飛行。
でも、そこは最新鋭の部隊に配備されたパイロット。見事な技だったそうです。
引用元:http://www.fujitv.co.jp/unb/
海スレスレの飛行は空気抵抗が大きく、予想以上の燃料の消費で止む無く高度を上げた為、途中で日本のレーダー網にキャッチされる。
これを日本のレーダーサイトが午後1時10分頃に捉え、領空侵犯の恐れがあるとして、急遽航空自衛隊千歳基地のF-4EJが午後1時20分頃にスクランブル発進した。
空自は、地上のレーダーと空中のF-4EJの双方で日本へ向かってくるMiG-25を捜索した。しかし、地上のレーダーサイトのレーダーは航空機の超低空飛行には対応できず、また、F-4EJのレーダーは地表面におけるレーダー波の反射による擾乱に弱く、低空目標を探す能力(ルックダウン能力)が低かった。
F-4戦闘機に付与されたルックダウン能力は、実用に供された戦闘機においては史上初めての試みであり、当時の先進国で一般的に運用されていた戦闘機の技術的な限界であった。それを上回るルックダウン能力を備えるF-14/F-15は当時の最新鋭機であり、開発したアメリカ空軍でも実戦配備が開始された直後であったため、日本の航空自衛隊における運用は、まだ不可能な状態であった。
引用:Wikipedia
で函館空港に到着した際は残り30秒分くらいしか燃料は残っていなかったらしいです。
↓当時の函館空港の写真。ざわざわ…
引用元:http://www.hokkaido150.com/
当時はまるで宇宙人が飛来してきたような騒ぎ。
また、外務省に勤めていた、ロシア語堪能な担当者が色々とお世話したとか。
手厚く保護し、最初に食べたのは親子丼で、それがめっちゃ美味しかったそうです。
ちなみに私の夫も親子丼が好きです。(#^.^#)w
ソ連側は当日中にベレンコとの面会と身柄・機体の早期引き渡しを要求したが、翌7日に身柄は東京に移送され、8日にはアメリカが亡命受け入れを通告。
防衛庁の事情聴収を経て、9日にはソ連大使館員がベレンコに面会し、意思確認をするとともに翻意を促したが果たせず、9日中にベレンコは東京国際空港からノースウェスト航空の定期便でアメリカに向かい出国する。
10日には法務省から防衛庁に機体の管轄が移される。
引用:Wikipedia
当時はソ連側は「墜落寸前のところ、助かり日本へ着陸したが、日本側に薬を盛られて監禁されている」と報道されたそうです。
そして、ソ連がメディアを使って国民に訴え。ベレンコ氏の元妻と母が登場した記者会見の様子↓
引用:http://www.bestchinanews.com/Military/2375.html
「夫が自ら外国へ亡命するはずはありません」「息子は愛国心が強い子でした」、、というような記者会見だったとか。。
ベレンコ氏の妻は夫に離婚を突き付けていたし、ベレンコ氏の母とは両親が離婚した2歳から会ってない。。ww
とにかく、ベレンコ氏を取り返したかったソ連。
アメリカ側も過去に受け入れを拒否してソ連に返された兵士が銃殺された為、ベレンコ氏の亡命を受け入れることにしたらしい。
↓移動中のベレンコ氏。アメリカに行くまで安全に保護する為に、場所を何度も変えた。
引用元:https://www.m24.ru/articles/obo-vsem/29052014/45970
そして、ベレンコ氏が日本とアメリカに差し出したのは MiG25。世界最速の戦闘機。
日本とアメリカはその秘密を知りたかっていたし、ソ連側はどうしても知られたくないので
取り返す為に戦争が始まるのでは?と当時は相当緊迫した状況だったと聞く。
ふたを開けてみると、
最新の技術ではなく、つくりは過去の技術を使っており
「よくこれでこのスピードを実現したものだ」と感心されたほど
で、機体を軽くするために、脱出装置もなく、後ろが見えないつくりだったとか。
そこで、ソ連側がどうしてもミグ25を取り返したかったのは、
「最新技術など使っていない機体」とばれるのを恐れていた、、と言われています。。
↓上からカバーがかけられているミグ25。厄介なものが空港にあると皆思っていたらしいです。
引用:https://alchetron.com/Viktor-Belenko
↓こんなものまで売られていました。1万以上ってたっか。。
ミニクラフト 1/144 MIG25 フォックスバットInAir e-z構築モデルキット – Mig - 29
↓函館市民にとっては戦争を引き起こすかもしれない厄介者だったので、ついにソ連に返還する時には
「函館の皆さん さようなら、 大変ご迷惑おかけしました。」と書かれた横断幕をシリアスな音楽をもってロシアで放送されているのがツボった私( ;∀;)w
ここまでは日本とアメリカの見解ですよ。
ロシア側の見解もさらっと聞きましょう。
・ベレンコ氏はもともとアメリカCIAのスパイだった!
・古いシステムを使っていたのはワザと。技術開発は常に最前線だった。
( ・´ー・`)。。
ロシアの記事はだいたいベレンコ氏に批判的です。
ソ連の時代が終わっても、やはり愛国心からか、はたまた私たちが日本とアメリカから洗脳されているのか
ソ連・ロシア国民が洗脳されているのか、、真実は分かりませんが
とりあえず、ベレンコ氏はソ連からアメリカに逃亡した、、というのは事実です。
亡命後のベレンコ氏はどうなったんでしょうか?
亡命後しばらく、ベレンコは自身の安全確保のために氏名と居住地を頻繁に変えた。
1983年9月に大韓航空機撃墜事件が起こると、当時所用で国外にいたベレンコは緊急にアメリカ国内に呼び戻されて大韓機を撃墜したソ連の戦闘機飛行士の会話の鑑定や暗号解読にあたった。
その後トム・クランシーが作家デビュー作『レッド・オクトーバーを追え!』を執筆する際に助言を与えてもいる。
やがてソ連が崩壊し冷戦が終結すると、1995年には所用でモスクワを訪れている。しかし翌1996年夏、サンクトペテルブルクの日刊紙『Smena』はロシア政府消息筋の確認情報として、ベレンコがアメリカ国内で交通事故により死亡したと大きく報じた。呆れたベレンコはこれを受ける形で同年11月、亡命20周年を契機に『Full Context』編集長カレン・リードストロムのインタビューに応じ、ソ連時代・亡命の動機とそれに至る動向・その後の人生などについてを詳細に語った。
また著述家の辻仁成は亡命事件を扱った自著『世界は幻なんかじゃない』の中でベレンコとの対談を紹介している。
ベレンコはソ連時代に裕福な家の出の女性と結婚して1男をもうけていたが、家事をほとんどせず金遣いの荒かった妻とはやがて不和となり、亡命直前には彼女の方から離婚を求められていた。
亡命後はアメリカ人女性と結婚して2男をもうけたがその後離婚している。2010年現在ベレンコはアイダホ州で航空イベント会社のコンサルタントをしている。
えw ロシアに行ったんかいww
おそロシアとか言われてるわりに、ロシアって意外と緩いような。。
インタビューと講演での費用で稼いでるらしいです。(´ー`)立派なビジネスじゃないですかww
もちろん 興味深くはあります。
↓ミグ25事件のことは書いてあるが、肝心なベレンコ氏のことなどはあまり書かれていないそう。
ミグ25事件の真相―闇に葬られた防衛出動 (学研M文庫)
↓こちらは英語の本。確か、本人の供述をもとに書かれてるので、こっちの方がソ連の事情とかは詳しいはず。
Mig Pilot: The Final Escape of Lieutenant Belenko
今となっては、ロシア側も ベレンコ氏のことはどうでもいいだろうし、ミグよりいい戦闘機も作ってるだろうから
放置なんでしょうね。
現在のベレンコ氏。
普通のおっさん。。あの、正義感強そうな軍人の面影0w
引用:http://www.chrisdixonreports.com/margaritaville/oshkosh/folioentry7.html
ま、今はロシアもベレンコ氏もいちおう?平和で良かったです。